大判例

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京都地方裁判所 昭和30年(タ)8号 判決

原告 横田・ジヨーンストン・喜子

被告 レイモンド・カイス・シヨーンストン

主文

原告と被告とを離婚する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として原告は肩書地に本籍を有する日本人であるが、京都市下京区四条烏丸大建ビル内にあつたアメリカ合衆国(以下単に米国と略称する)進駐軍第一軍団司令部通信課に、テレタイピストとして勤務中知り合つた米国人にして同国陸軍伍長である被告と昭和二十六年十月八日神戸市所在米国総領事館において、適法な婚姻をなし所定の手続を了した。被告は婚姻当時肩書記載の京都ステーシヨンホテルに止宿していたが、昭和二十七年一月十七日軍命令により国鉄京都駅を出発帰国の途についた。原告は被告と同道の予定であつたが、米国移民法による米国政府の入国許可書が被告の出発に間にあわなかつたため、致方なく右許可書入手次第被告のあとをおつて渡米することとなり、渡米旅費及び原告の生活費は被告より送金の約束であつた。しかるに被告は右約旨に反し国鉄京都駅出発後現在に至るまで何等の連絡をなさず、原告の被告宛の書信に対しては返信を寄せず、遂に昭和三十年一月十六日付被告宛の書信は名宛人所在不明の故をもつて原告に返送されるにいたるし、渡米旅費、生活費については送金をしないことは勿論、婚姻当時被告が米国軍人であつたため原告が米国政府から当然別途支給される筈の家族手当も、当時の米軍係官が原被告夫婦は同道帰国したものと誤信し、その支給証を被告の本国住所地である米国オハイオ州ウイルスビル市第十八番街四百二十五番地宛に送付したので、原告は遂にその支給をうけることがなかつた。

他方原告の友人である訴外中山重吉も被告の所在を択索しようと、三回に亘り被告住所宛に回答を求めて書信を送つたが返信をえられず、更にオハイオ州ウイルスビル市長宛、米国陸軍省高級副官宛、米国オハイオ州コロンビアナ郡検事宛夫々事情を具し照会し、夫々回答を得たのであるが、被告の所在については遂に手がかりとなるものがなかつた。

離婚の準拠法はその原因たる事実の発生したる時における夫の本国法であるから、本件では米国オハイオ州の離婚法によるべきであるが、同州国際私法は法廷地法に反致していると解せられるから、本件においては日本民法によるべきこととなる。而して被告の原告に対する前記行為は民法第七百七十条第一項第二、三、五号に規定する「配偶者から悪意で遺棄されたとき」「配偶者の生死が三年以上明かでないとき」「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に夫々該当するというべきである。また米国オハイオ州離婚法によれば同法は裁判上の離婚を認め、(1) 当事者たる他の一方の相手方が故意に一ケ年不在したとき、(2) 一般的な義務を懈怠したときは離婚原因になるとされているから本件はこれにも該当する。よつて原告は被告との離婚を求めるため本訴請求に及んだと述べた。〈立証省略〉

被告は公示送達による適式の呼出を受けながら、本件口頭弁論期日に出頭しないし、答弁書その他準備書面も提出しない。

当裁判所は職権で鑑定人溜池良夫に鑑定を命じた。

理由

一、先づ本件の裁判権の所在について考えるに、公文書として真正に成立したものと認むべき甲第一号証によれば原告は肩書地に本籍を有する日本人であり米国人である被告と昭和二十六年十月八日婚姻したものであることが明かであり、かくの如き離婚訴訟において当事者の一方たる妻が日本の国籍を有し、他方夫がこれを有しない場合に、当該訴訟の裁判権をいずこに認むべきかについては争がないわけではないが、離婚は人の身分につき重大な関係を伴う問題であるから、夫婦のいずれか一方が日本国籍を有する限り日本の裁判所において当該離婚訴訟についての裁判権を有するものと解するのが相当と思料されるので、本件においては日本の裁判所に裁判権が認められる。

二、次に当裁判所が本件につき土地管轄を有するかについて考えるに、離婚訴訟の土地管轄は人事訴訟法第一条により夫妻の中いづれの氏を称したかによりその氏を称した者の普通裁判籍を有する地の地方裁判所に専属するものなるところ前記甲第一号証は従来の取扱例に従い原告の従前の戸籍中に婚姻の相手方の国籍、氏名、婚姻年月日等を記載するに止めた戸籍の記載によるものに外ならず、従て同号証に原告が「横田」と記載されていることから直に原告が婚姻後も氏を変更しなかつたと結論することができない。

元来夫婦の氏は婚姻により夫のそれ又は妻のそれに統一されるか乃至は婚姻により夫婦とも何等氏の変更を受けず夫々別の氏を称するかについては各国の立法例は区々であり、本件のような国際婚姻の場合において夫婦の氏の準拠法如何がそもそも問題なのであるが、この問題は婚姻の身分的効力の準拠法即ち我国においては夫の本国法(法例第一四条)によると解するのを相当とするところ、夫たる被告の本国である米国オハイオ州の婚姻に関する法律中この点の規定は明らかでないが、

同州の離婚に関する法律によれば、離婚が認められたとき妻が欲するなら妻は婚姻前の姓に復することができる旨が規定されており、一方夫の姓の変更については触れられていないので、同州は婚姻に際しては夫婦同姓となし且つ夫姓を称することとなるのでないかと推測される。仮に夫の氏に統一されることなく夫婦の選択により当事者一方いずれかの氏を称するのであるとしても、原告が本件の訴訟代理委任状や本人尋問の際の宣誓書にYoshiko Johnston(旧姓横田喜子)又は喜子、横田・ジヨーンストンと署名しているので原告が氏を変更し夫たる被告の氏を称することになつたものと認定するのが相当である。なお、未だ夫婦共通の氏を定めるに至らず各自従前の氏を称しているとしても、かかる場合離婚訴訟の土地管轄は一般原則に戻り被告の普通裁判籍所在地により定まるものと解するのが相当であるから、夫と被告の一致する本件においては結局いずれの場合も被告の普通裁判籍所在地を所轄する地方裁判所に専属することとなる。而して被告の普通裁判籍はその住所又は居所により定まり、現に日本にそれらがいずれも存しないときは人事訴訟法第一条第二項の趣旨により被告の日本における最後の住所地を所轄する地方裁判所に専属するものと解するのが相当である。そして右住所の概念は日本の法律によるべきところ、本件においては後に認定の如く被告は兵営外である京都ステーシヨンホテルに昭和二十六年九月末頃より翌二十七年一月十七日頃まで四ケ月近くに亘つて止宿し、その間生活の本拠となしており、原告との婚姻もここに止宿中に行われ、且つ原告との婚姻中の交渉も右ホテル止宿中に限られており、ここより直ちに帰国した事情にあるので、本件訴訟に関しては右京都ステーシヨンホテルに最後の住所があり、当裁判所がその管轄権を有するものと解するのが相当である。

三、よつて按ずるに方式及び趣旨により真正に成立した公文書と認める甲第一号証、証人中山重吉の証言により真正に成立したと認める甲第二乃至第十一号証、第十四乃至第十九号証、証人中山重吉、同尾関清の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は昭和二十二年一月頃から京都市下京区四条烏丸大建ビル内に当時所在の進駐米軍第一軍団司令部通信課に勤務中、同司令部に所属して、昭和二十三年頃から同二十四年初頃まで及び同年四月頃から同二十五年春頃まで同所に勤務していた、米国人にして同国オハイオ州ウエルスビル市に本源住所を有すると認められる米国陸軍伍長の被告と知りあい交際を始め結婚の申込もうける仲となつた。被告は昭和二十五年春頃一旦帰国したのであるが、朝鮮戦乱の勃発に伴い同年秋頃朝鮮に従軍し、その間休暇を得て京都に来り原告と交際をつゞけ、右動乱が静まりかけた同二十六年九月末頃京都市内所在の部隊に勤務することとなり、その頃より肩書記載の京都ステーシヨンホテルに止宿し始めた。そして同年十月初頃原告は被告より改めて結婚の申込をうけ、被告の熱意に感じてこれを承諾し、同月八日神戸市所在米国領事館に赴いて適法な婚姻をなしてその届出をなすとともに、同日神戸市生田区長に対しても婚姻の届出を了した。結婚後も被告は前記京都ステーシヨンホテルに止宿して軍務につき原告と別居していたが、近い将来帰米の見透しであつたので、原告も被告に同道し米国オハイオ州ウエルスビル市において共同生活を営む約束をなし、原告は渡米のための旅券の交付等の申請手続を被告に依頼していたが、被告が右申請手続を怠つていたためか、或は何等かの手続上の間違いのためか交付が遅れ、被告が軍命により帰米する昭和二十七年一月十七日頃までにまにあわず、原告は被告に同道できなくなつた。そこで原被告は原告に旅券が交付され次第被告において渡米旅費を送金し、原告が被告のもとに到着する約束をなして、被告のみ同月十七日頃国鉄京都駅より帰国の途についた。被告の帰国後原告は一日も早く渡米しようと神戸市所在の米国領事館に諸手続を進め、昭和二十七年五、六月頃旅券の交付もうけたので、被告所在の米国オハイオ州ウエルスビル市オリーブ、ジヨーンストン方の被告宛に旅券が下付された旨と渡米旅費の送金方依頼の手紙を出し、原告は渡米するためその勤務先を退職し、その所有の家屋も売却してひたすら渡米の日を待つていたところ、被告から一向に返信はなく、右被告宛先と同住所の被告の母から被告の所在不明なる旨の手紙をうけるに至つた。そこで原告は被告の母宛に自分は被告の妻であつて渡米して共同生活をする約束に従い渡米準備も済ませているから被告の所在を捜して貰いたい旨連絡してその返信を待つていたところ、昭和二十八年十月頃(原告本人尋問の結果によれば附和二十七年十月頃とあるが甲第三号証や原告の退職並びに家屋売却時期からみて昭和二十八年十月が正当と認められる)、被告の母から、原告に対する責任を果さないような息子である被告に対しては原告において好きなようになされたい旨返信をうける至つた。その間被告は原告に対して帰国以来一度も音信をなさないばかりか、婚姻により原告が米軍から支給されていた家族手当も、被告は帰国後米国において原告の家族手当をうけるように手続をしたため原告はその支給をうけられなくなるし、生活費の送金も勿論なかつた。かかる事情に立至つて原告は被告に対する愛情信頼を喪失するとともに、渡米旅費の送金もないので渡米は不可能で被告と共同生活を営むことも考えられないので、扶養義務も同居義務も履行しない被告と離婚し新しい人生に再出発したく決心するに至つた。そこで原告は友人であり英語を解する訴外中山重吉に依頼して被告の住所地である米国オハイオ州ウイルスビル市十八番街四百二十五番地の被告宛に昭和二十八年十二月四日付、同二十九年一月十日付、同年二月四日付各発信の手紙に以て原告と離婚されたい旨と返信を求めて書信をなしたが、同書信は被告が同所に所在したためか或は被告の家族において受領したためか返送されることはなかつたが遂になんらの返信も得られなかつた。そこで訴外中山重吉は昭和二十九年六月四日ウエルスビル市長宛、同年八月二十日米国陸軍省高級副官宛に被告所在調査方依頼し、更に米国陸軍省高級副官の返信指図に従つて昭和二十九年十一月十一日オハイオ州コロンビアナ郡検事宛に書信し、同検事事務所より返信も得たが、被告の所在に関しては遂にこれが明らかにならなかつた。ところが同年十二月九日付を以てウエルスビル市長より返信があり被告はオハイオ州クリーブランド市クロフオード街の被告の叔母アンダーソン夫人方に居住するとのことであつたので、直ちに原告名を以て右叔母方の被告宛に昭和三十年一月十九日付を以て書信したが、該書信は宛先不明で差出人に返戻され、爾来原被告間に連絡はなく被告の所在が明らかでないので、原告はもはやこれ以上婚姻を継続する意思はなく、現在失職中であるが就職のためにも被告との離婚が必要である事情が認められる。

四、ところで本件の如く夫が外国人であるときは、その離婚は法例第十六条により離婚原因の発生したときにおける夫の本国法によることとされているので、本件については夫たる被告が属し且つ米国内においてその本源住所を有する米国オハイオ州の離婚法に従わなければならないのであるが、鑑定人溜池良夫の鑑定の結果によれば、米国オハイオ州の国際私法も米国各州の国際私法一般の例にならうものと推知され、米国各州の国際私法においては離婚については当事者双方又はいずれか一方の住所の存する他の法律によるべく、その住所概念は米国法上のそれであるが、本件においては原告は被告との結婚により一度は米国法上の日本における住所を失つたが、前記認定した如く遺棄の罪なくして夫たる被告より遺棄され、夫と別に日本において生活し且つその土地を自己の本国たらしめる意思をもつて日本に居住しているから、日本において出生することにより取得した日本の本源住所を回復し、原告は米国法上日本に住所を有するに至つたものと認められるので、法例第二十九条により本件については日本の民法が適用せられる。而して前記認定事実によれば昭和二十九年十二月九日付を以て米国オハイオ州ウエルスビル市長より、被告がオハイオ州クリーブランド市クロフオード街アンダーソン夫人方に居住する旨の回答があつたのであるから未だ「三年以上被告の生死が明らかでない」と断ずるは早計に失するが、前記認定の事実はまさに原告が被告から悪意で遺棄されたときにあたるとともに、その他婚姻を継続し難い重大な事由があるときにあたり民法第七百七十条第一項第二号、第五号の離婚原因に該当するといわなければならない。なお、夫たる被告の本国であるオハイオ州の国際私法によれば、日本法の適用が同州の公序に反する場合は日本に反致しないことになるが、オハイオ州離婚法は広範な離婚原因を認め「相手方の一ケ年にわたる故意の不在」「極度の虐待」「ひどい義務懈怠」などをあげておるところからしても、当裁判所が前記我民法による離婚原因を認めて本件離婚請求を認容することは何等米国オハイオ州の公の秩序に反するものでないこと明かで、本件で日本民法によることは拒否せられないものというべきである。

五、よつて原告の本件離婚の請求は理由があるのでこれを正当として認容し、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 坪倉一郎 吉田治正)

!  校正:相当とするところ、<改行>夫たる被告の本国である→相当とするところ、夫たる被告の本国である

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